2001年兵庫リレーカーニバル 2001年4月21日〜22日(観戦日:4月22日) ユニバー記念陸上競技場

2001兵庫リレープログラム兵庫リレーカーニバルは、ずっと「行ってみたい!」と思っていた競技会でした。これは、小学生〜高校生までのリレー競技(個人種目もあり)と、一般の試合をいっしょに行う大会なんですけど、兵庫出身の私にとっては以前からとてもなじみが深かったんですよね。今も、自分の出身校が出ないか…なんていう楽しみがあるし、それに一般のグランプリ種目では日本のトップクラスの選手も登場するし…。地元のテレビ局では1日ぶっつづけで放送してくれるので、ほとんど毎年、テレビ観戦を楽しんでいました。
それなのに、なぜ今まで観戦に行かなかったかというと、答えは簡単。いっしょに行ってくれる人がいなかったからなんです。スケートならけっこう1人で観戦してる人もいるので、私もそう抵抗なく行けるのですが、陸上は青空のもと陽気に楽しむ競技。グランプリ陸上でも1人はつらいのに、リレーカーニバルとなるとファミリー客や友達同士…というのがほとんど、というのはわかりきってますよね。いくら私でも、そんなところに1人でいる勇気はナイ!てなわけで、これまではテレビでがまんしていたのです。
が、ここで私に強力な仲間が登場することになります。友人あきべ嬢。私のスケート熱に、思いがけず興味を示してくれた彼女に、思いきって言ってみたんですよね。「陸上、見に行く気、ない?」
正直、「嫌」という答えを覚悟して口にした言葉だったのですが、彼女の返事はなんと「行ってみたい」。私はもう、狂喜乱舞(笑)。ついに、貴重な存在を見つけたのです!
てなわけで、春の日差しも暖か…というよりは暑かった4月の日曜日、私たちは神戸のユニバー記念競技場まで足を運びました。ここは、その名の通り、1980年代に神戸でユニバーシアードが行われたとき、作られた競技場です。現在は、ヴィッセル神戸のホームグラウンドとしてもおなじみ。また、競技場の近くにはオリックスブルーウェーブの本拠地、グリーンスタジアム神戸もあります。ただ、神戸といっても端っこで、周囲はなにもない山の中なんですけどね。
競技場に着いたのは昼過ぎだったのですが、そのころはまだグランプリ種目はやってなくて、小中学生の種目の真っ最中。でも、小学生でもかなり速いんです。バトンパスなんかも、きっちり訓練している学校は、けっこう形になってました。
そんなことに感心しつつ見ていると、今度は思いがけない人がグラウンドに登場! なんとあの伊東浩司さん(ご存じ、100mと200mの日本記録保持者です)が、表彰式でプレゼンターをされていたのです。このときはまだ甲南大学の講師になられたばかりでしたが、会場で見かけられるかもしれない…とは思っていたものの、まさか表彰式でお目にかかれるとは! 私たちは表彰台にかなり近い席に陣どっていたので、至近距離で見ることができたのでした。ただ、欲をいえば、走っているところが見たかったですけどね。
レースで記憶に残ってるのは、うーん、なんせ1年も前のことなのでそんなに多くはありません。高校男子5000mでは西脇工業の選手が大量に出場していて、報徳学園の選手を完全に負かしていたので、「今年の高校駅伝も西脇工かなー」なんて思ったりしましたね。
でも、高校生のレースで一番凄かったのは、なんといっても男子の1600mリレー。グランプリのレースで有名な選手が出てきても、それほど大きな歓声はわかないのに、このときばかりは会場中に各校の応援団が陣どって、応援合戦を繰り広げるのです。メインスタンドで見ている私たちには、あちこちの応援が入り交じって、まるで大合唱のように聞こえてくるんですね。そのもりあがりたるや、すばらしかった! 私の母校が、昔このリレーで3位に入ったことがあるのですが、そのときもこんな盛り上がりのなかでやってたのかなーなんて、想像したりしました。
というわけで、学生の競技はこれで終了し、あとはメインの10000mを残すのみ。この大会の10000mといえば、過去何度も日本記録が作られているので知られています。当然観客も、これ目当ての人が大半…のはずだったのですが、ここで思わぬ敵が現れてしまいました。風です。
昼間はかなり日差しが強くて暑いくらいだったのに、日が傾きだすにつれて気温がどんどん下がっていったんですね。しかも、それに加えてものすごい風が吹きまくるんです。その突き刺すような寒さといったら、もうどうしようもないくらい。家を出るときから寒ければ、それなりの準備をしてきたのですが、あんなに暑かったのにこうなってしまうなんて思いもしなかったのです。
唯一、ポットに入れてきた熱いお茶だけが、私たちの頼りでした。少しず〜つ飲みながら、なんとか身体を暖めている状態。競技場の売店でカップラーメンを売っているのを見かけたので、2人で「4時になったら買いに行こう」と、楽しみにしてました。
…が、ここでまたもや、思いもかけなかった事態が発生! 4時過ぎに財布片手に売店へ行ってみれば、なんと、シャッターがすべて降りているではありませんか! そう、店はすでに閉まっていたのです。カップ麺を支えに寒さに耐えていた私たちにとって、それはどんなにショックだったことでしょう…。席に戻ってあきべ嬢に「閉まってた…」と言ったときのむなしさ…。たかがカップ麺ひとつで、と思われるかもしれませんが、あのときの寒さといったら本当に尋常じゃなかったのです。
メインレースは残っているにもかかわらず、観客は次々に帰っていきました。男子の10000mのB(出場選手が多かったため、AとBの二つに分かれていました。当然Aのほうがレベルが高いです)が行われているときは、まだ明るかったし観客もそこそこ残っていたのですが、女子の10000mが終わるころには、もう我慢も限界に達していました。観客席は、メインスタンドの一部を除いてガラガラ。大トリの男子10000mAを見たのは、根性で居残ったわずかな数の人々でありました。
ちなみにこのとき以来、私は熱いお茶に加えて、絶対にカイロも持っていくようになりました(笑)。必要なければ、持って帰ればいいだけです。スケート場で寒い中の観戦には慣れているはずの私が、ギブアップ寸前になった恐怖の体験でした。
残る心配は、あきべ嬢が「もう懲りた」と言い出さないか…ということだったのですが(せっかくできた仲間がいなくなってしまう!)、幸いその後も私につきあってくれてます。彼女のおかげで、今後私の観戦回数は飛躍的に伸びることになったのでした。

男子10000mB表彰式男子10000mBの表彰式。
向かって左から、1位…磯松大輔(コニカ)、2位…小林雅幸(三井海上RC)、3位…大川久之(山陽特殊製鋼)、4位…坪田智夫(コニカ)の順で並んでいます。
2位の小林選手は、早稲田時代はかなりな有力選手として知られていたのですが、実業団に入ってからの成績は今ひとつ。
ここで久々に元気な姿を見ることができました。
また、このあと急成長を見せたのが、4位の坪田選手。
1年後の同じ大会で、日本人トップの成績を収めることになろうとは、このときはまだ予想もしていなかったのでした。

女子10000m表彰式女子10000mの表彰式。
向かって左から、1位…小鳥田貴子(デオデオ)、2位…藤永佳子(筑波大)、3位…渋井陽子(三井海上)、4位…高橋千恵美(日本ケミコン)の順で並んでいます。
渋井選手が、1年後にまさかこの種目の日本記録を作ろうとは、やっぱり予想してませんでした。
また、いちばん端っこで頭を下げているのが、8位の野口みずき選手。ハーフマラソンの女王です。
彼女が3年後の五輪で、マラソンの金をとることになろうとは、当然ながら思ってもみなかったのでした。
伸び盛りの選手って、ほんの1〜2年で大化けしちゃいますよね。

男子10000mAは、表彰式まで座り続ける根性がなかったので、写真は撮れませんでした。
ちなみに順位は、1位…ガソ(コニカ)、2位…ギタヒ(日清食品)、3位…シーブラー(NEC)、4位…マイナ(トヨタ自動車)でした。
日本人トップは5位の高岡寿成選手。この大会で日本人が1位を取る日は、果たしてやってくるのでしょうか?

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