2013年の雑記

9月10日
2020年の五輪開催地が、東京に決まりました。発表から丸2日経ち、やっと落ち着いた気持ちでこれを書いています。この瞬間をあまりに待ち望みすぎて、テンションが高まりすぎ、ふわふわしながら生きていたもので、なにもする気になれなかったのです。
それにしても、決定まではハラハラさせられました。1回目の投票を終えて、マドリードとイスタンブールの名前だけがスクリーンに表示されたときは、たぶんテレビを見ていたほとんどの人と同じく、一瞬目の前が真っ暗になったし、最後の投票が行われてから発表までがまた長くて、じりじりするような時間を過ごしました。午前5時からようやく発表と思いきや、司会の二人が長々としゃべるばかりで、ロゲ会長が現れる気配もないし、そのうち3か国のプレゼンの模様がまた流れるし、じらされすぎて呼吸困難に陥るかと危惧するほどでした…。
待って待って、ようやくIOCのロゲ会長が登場し、「トーキョー」と言いながら、開催地が書かれたカードをゆっくり裏返したとき、自分の中でなにかがはじけ飛びました(笑)。そして、私は近所迷惑も顧みず、「やった〜!」と小さな叫び声を上げながら手をたたいていたのでした。
喜びにひたりながら、私は過去何回かの失敗した誘致について思い出していました。名古屋のときは、やっぱり眠い目をこすりながらテレビ画面を見つめていて、「ソウル」と告げられた瞬間、あまりのショックで呆然としながらベッドにもぐりこみました。あのときは、新聞の「名古屋優位」という下馬評を信じ込んでいただけに、ショックが大きかったんですよねー。大阪のときは、現地視察の段階から「街がきたない」とか、やけに低い評価が聞こえてきて、意図的におかしな情報を流されたような気がしていました。投票でもまったく勝負にならなくて、胸の中にもやもやしたものが残ったのを覚えています。
でも、その二つや前回の経験が生かされたこそ、今回の成功があるんでしょう。1回目の結果が、東京42に対して、マドリードとイスタンブールは26。3回目の決選投票では、東京60でイスタンブール36。この、予想以上の圧勝は、これまでマイナス要因だったことを、ひとつずつプラスに変えていった、その地道な努力があったから…なんでしょうねー。
ロンドン五輪後の大々的なパレードで国民の多くを賛成派へと動かし、関係者の人脈を生かした地道なロビー活動でIOC委員の中に東京招致派を増やし、そして最終プレゼンで浮動票をさらっていく…。特にプレゼンの、あの「訴えかける力」は、すごいものがありました。
さらに、これは私が個人的に思うことなんですけど、実際に東京で試合したことがある「選手の声」も、少しは反映されたんじゃないでしょうか。日本で現地観戦して感じることは、どの競技でも、よいプレー、よい演技をした選手にはまんべんなく拍手が送られ、観客も一体となって楽しもうとする雰囲気がある。居心地のよい宿泊施設が提供され、選手は安心して競技へ臨むことができる。これぞ滝川クリステルさんの言われた「おもてなし」ですよね。それを知る方々が「日本で試合をしたい」と思ってくれたんだったらいいな…と、まあ半分は私の願望なんですけど、そんなふうに考えたりしたのでした。
名古屋落選の記憶があるおばさんな私でも、さすがに自分が観戦できた(テレビですが)のは冬季の長野だけ。そして、今回のチャンスを逃せば、私が元気なうち(生きているうち?)に夏季五輪が開催される見込みがなくなる…ということで、今回は本当に本当に東京に勝ってほしかったんです! やっと願いがかないました〜。
どうもまだ興奮が残っているのか、自分でもなにを書いているのかわからなくなってきました。とりあえず、7年後まで元気でいること、そしてチケットと宿をなんとかして確保すること。これを肝に銘じて、開幕までの日を生きていきたいと思います〜。
バンクーバーでの経験から、チケットは、ものすごい人気競技でなければなんとかなると思うんですよ。向こうでも、とっくに売り切れたはずのチケットを、ダフ屋のおじさんが売りさばいてたりしたし(東京でダフ屋が商売できるのかは知りませんが)。だから、どうしても見たい競技のチケットを何枚かは入手することと、あとは宿ですかねー。ホテルとか、いつから予約すればいいんだろう…。てか、空いてるんだろうか…。こんなこと、今から心配してもどうしようもないんですけど(笑)。