2003年のトピックス           10 11 12

7月19日
スキーのジャンプは、サマージャンプ大会の真っ最中。19日は札幌市長杯が行われて、1回目でトップに立った船木和喜選手がそのまま逃げ切り、優勝を果たしました。2位は宮平秀治選手でした。昨シーズンはなかなか好調だった宮平選手と、対照的に浮上しきれなかった船木選手。次のシーズンは果たして、どういう結果が出るでしょうか。

7月15日
スピードスケートの清水宏保選手の呼び掛けで実現することになった、男子短距離陣の合同練習が始まりました。参加したのは清水選手のほかに、川田知範選手と小林正暢選手。昨シーズンは高校生ながら大活躍を見せた加藤条治選手も、当初は参加の予定だったのですが、残念ながら今回は都合で参加を見送りました。
練習メニューを考えるのは清水選手。トップ選手ばかりということで、かなりレベルの高い練習になっていると思われます。それに、こうやって同じ場所で練習するということは、精神的にもいい刺激になるのではないでしょうか。この成果が、シーズンに入ってから出てきてくれたらなーと思います。

7月8日
フィギュア界では草分け的な存在で知られる稲田悦子さんが、亡くなりました。79歳でした。
1936年のガルミッシュパルテンキルヘン大会に、日本の五輪史上最年少の12歳で出場。26人中10位に入った…というのは、実はこの訃報に接してはじめてちゃんと知ったのですが、数字的なことは抜きにしても、稲田さんという人は、フィギュアをよく見る人間にとっては、聞かずにはおれない名前でした。おそらくその存在は、すでに伝説的なものになりつつあったからだと思います。残念ながら、私も映像で見た記憶はないのですが、それでも過去全日本選手権で何度も(七度だそうです)優勝したということは知っていました。
また、彼女の元からは福原美和さん、上野(平松)純子さん、石田(岡本)治子さん(いしだあゆみさんのお姉さん?ですよね)などの、たくさんの名選手が出ています。今の日本女子フィギュアのおおもとを、稲田さんが作ったといっても過言でないのかもしれませんね。
大いなる功績に感謝しつつ、今はご冥福をお祈りしたいと思います。

7月6日
※先日、競輪でも絶好のスタートを切ったばかりの武田豊樹選手でしたが、3連勝がかかった6日のレースで転倒し右鎖骨を骨折。全治6週間のケガを負ってしまいました。たぶん、それほど大きなケガではないんでしょうけど、せっかく波に乗りかけたところにブレーキをかけられるのが残念です。いろいろ回り道をしながらも五輪出場を果たし、競輪選手としても花開こうとしている武田選手なので、この先はもう少しスムーズにいってほしい…と思いますね。

7月4日
スピードスケートのソルトレーク五輪代表で、今春競輪学校を卒業したばかりの武田豊樹選手が、デビュー戦で圧倒的な勝利を収めました。ただ、「A級予選」といわれても、競輪の知識など皆無の私には、???って感じではあるのですが…。なんでも、あと2回出場するレースに勝てば、史上最短で最高峰のS級に昇級できる、のだそうです(たぶん、凄いことなんでしょう…)。
武田選手はスケートをやめたわけではなく、トリノに出場したい気持ちはある様子。ただし、今のところは競輪に専念するみたいです。どうせならトリノといわず、来年のアテネに自転車でチャレンジ…なんてのも見てみたいですけどね。

7月2日
2010年の五輪開催地はバンクーバーに決まりました。1か月ぐらい前の予想では、平昌不利、ということだったので、最初に落ちるのかなーと思ってたら、意外や意外。1回目の投票で最下位になったのは、ザルツブルグでした。私としては、ザルツブルグみたいな古い都市で開かれたら、いろいろと楽しめるのにな〜と思ってたんですけど…。早々と落選が決まったのは残念でした。平昌は朝鮮半島の平和をアピール、ってところが効いたんでしょうか?
が、予想外の健闘をみせた平昌も決選投票で敗れて、開催地はバンクーバーに。「質の高い開催計画」というちょっと地味めのポイントが、逆に効果的だったのかな? 考えてみれば、「音楽の都が持つ豊かな文化とスポーツの融合」も「朝鮮半島の平和への貢献」も、大会の運営とは関係ないですもんねー。まあ、私の想像でしかないですけど。実際のところは、1回目で敗れたザルツブルグへの票が、バンクーバーに回っただけなんでしょうね、きっと。
さてさて、カナダといえば少し(といっても、もう15年だ…)前、カルガリーオリンピックが開催されました。それはちょうど日本勢の上昇の兆しがみられたころで、私にとってはかなり思い出深い大会となっています。バンクーバーでもまた、スカッとするような活躍が見られればなーと思ってます。

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